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高齢の母に同級生から電話、でも不在の時のサポート [友だち関係]

3時頃、母は、


「歩かないとダメだから」


と言って、外へ散歩(買い物を兼ねていることが多い)に出た。


ボク「気をつけて行ってね。」


と受けた。


その5分後、母の高校時代の同級生のNさん(山形在住)から電話が来た。


あいにくたった今、散歩に出たばかりと伝えると残念がっていた。




3時間後、母が帰ってきているようなので、


Nさんから電話があったことを伝えた。


そう聞くと、母は疲れてベットに横になっていたのだが、起きてきた。


ボクは、電話番号を探して、代わりにダイヤルプッシュをしてあげた。


母は、気持ちよく電話を受け取った。


電話は無事通じたようで、楽しく会話している声が聞こえてきた。



前回は、Nさんから電話があったことを聞いただけで、すぐにかけ直さないでいて、そのまま忘れていた。


これはまずいと思い、今回はすぐに代わりにかけてあげた。


おかげで、5分でも楽しい会話を交わすことができてよかった!


このほんの一手間が大事だなと思った。

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大親友Tさん、急死! [友だち関係]

母にとっての一番の親友であり、最大の癒やし手である、Tさんが急死した。


先週の金曜日、6月4日のことである。


◆急死の当日は元気で母といっしょに過ごしていた

この日、一番の親友Tさんは、嫁さんから病院に連れて行ってもらい、診察後、そのままわが家に連れてきてもらっていた。


朝11時頃から、夕方5時頃までいっしょにわが家で昼食を食べたり、おしゃべりして過ごしていた。


スクリーンショット 2021-06-09 10.51.56.png

●亡くなる当日のお昼頃の写真↑ 右側がTさん


その後、いっしょに駅近くまで歩いて、その後、別れて母を帰宅していた。


いつものよくあるパターンである。


母は終始笑顔でいっしょに過ごし、とても満足した1日であった。



◆翌朝の訃報


翌日の土曜日午前8時半ごろ、Tさんのお宅から電話があった。


Tさん息子「Tですけど、おふくろが昨夜風呂場で亡くなりました。(えっ!?) 私から直接言うとびっくりすると思いますので、息子さんのあなたから伝えていただきたいと思いまして。」


信じられない私は、何度かのやり取りの後、Tさんがお風呂場で事故死したことがわかった。


私「息子の僕が言おうと、誰が言おうと、母がびっくりするのは変わらない!」


まずは、妻を呼び、訃報を伝えた。


私「お母さん、このうえなくショックだろうな。できるだけ傷つけないようにと言ったって、誰が言ってもそれは無理だ。」


●私の胸中(母と大半の人生を共有し、来れば6時間、平気でおしゃべりできるTさん。Tさんがいるうちは、母は大丈夫と思ってきた。そのTさんの分も支えていかないといけない!? 大親友のTさんの代わりなんてとっても無理です、神様!)


起床後、何も知らないでいる母。

いっしょにお茶を飲み、血圧を測り終えた。

妻も呼んで3人みんな揃ったところで実はと切り出した。


私「お母さん、大ショックだと思うんだけど、ついさっきTさんの息子さんから電話があって、Tさんお風呂場で亡くなったって。」


母「えっ、何だっての。」


母は、絶句し、号泣した。


●孫たちにショックの様子を伝えるために、

やむなく撮った写真↓

IMG_5615.JPG


●僕の胸中(辛いだろうな、本当に。……僕がこの大親友のTさんの分も支えないといけない!?でも、大親友のTさんの代わりはなんてとっても無理です、神様!)

私と母と妻の3人は、10分ほどで支度を終え、Tさんの自宅(車で5分余り)へ急行した。


◆Tさん宅で遺体と対面、号泣する母


9時過ぎにTさんの自宅に着いた。

Tさんの遺体を見るなり、Tさんにすがりつくようにして母は大号泣した。


母「なんで私のことを置いて死んだの!」


僕の父(つまりは夫)が亡くなった時よりも、号泣してるように見えた。


母(すがりつくようにして泣き続ける)
僕の胸中(あー、でもどうしてあげようもない。大親友のTさんの代わりなどとっても無理です、神様!)


母「えーん。」


母:(Tさんの遺体にすがりつくようにして泣き続ける)……。


泣き続ける母を見続けている僕の胸中(わかりました、神様。 今度は僕が全面的に支えます。)


大親友のTさんが亡くなった今、母へのサポートが今まで以上に必要になることは間違いなく、僕は その覚悟をした!

◆死因は溺死だが、真実は寿命


1時間ほどいただろうか。


亡くなったときの事とかいろいろ聞いた。


ひと言で言えば、お風呂場で溺死ということだ。


見つけた嫁さんは、一生懸命人工呼吸をしたという。

でも駄目だった。


丁度1年前も同じようなことがあり、救急車も呼んで、その時は一命を取り留めた。


家族は気をつけていたそうだ。


嫁さん:「今日は、お風呂に入らない。」と言っていたので、そう思っていたら、ちょっと目を離した隙にお風呂に入ってて……。

僕:いやそれはしょうがないんですよ。言っても聞かないから。

現象としては溺死かもしれないけど、寿命なんですよ。

だから、今週3回もわが家に遊びに来て、(亡くなった当日の)昨日も遊びに来て楽しそうに話してたんですよ。


◆枕経とその後の「家族葬」の段取り


1時間ほどしたらお坊さんが来て、枕元でお経をあげてくれた。


その後、通夜と葬式の段取りをし、84歳の高齢でもあり、コロナ下なので、「家族葬」にするという。


ただ、うちの母の場合は大の親友なので、お通夜もお葬式も参列することになった。


Tさんの娘さん「大の親友のYさん(僕の母の名前)を呼ばなかったら、お母さんに怒られる。」


供える花も決めた。今までは友達同士で出してきたけれども、その友達が先に亡くなったので、母1人で出すことにした。


僕は受付をすることになった。

僕も小学生の頃からよくTさん宅におじゃましているので、実は僕も大きなショックを受けている。

それ以上に、Tさんに感謝しているので、快く受付を受けたのだ。

◆不思議と残った最期の写真


今週Tさんは、月水金と3回もわが家に遊びに来た。


いずれも、昼食をいっしょに取っていた。とりわけ水曜日は、その後、二人で駅の方まで歩き、夕食までいっしょに取った。


亡くなった金曜日のお昼には、母がトマトとキュウリを切って出したら、


Tさん「めんどうかけたね。これとってもおいしい。」


こう言っていた。


あまりにうれしそうにしていたので、僕はふと思いついて


僕「写真撮ってやるて。」


こう言って、スマホで写真を撮った。


その写真をTさんの家族に見せたら、とても喜んだ。

Tさんの息子さんは私と同級生なのだが、自分が4歳の時父を亡くしたせいもないあり、母親思いの気持ちがことの外強い。

もちろん、Tさんの息子さんは悲しみでいっぱいである。

私と妻は午前11時過ぎに帰宅した。


実母は、一緒にまだまだそばにいてあげたいと、そこに残った。


◆Tさん亡き後

僕「よかったね、お母さん、Tさんが来て。

Tさんがいたら、もう今日1日ハッピーだね。」


僕がこう言うのをにこにこして聞いていた母。


よく言う台詞だが、こう言ったのは水曜日の話。

Tさんが亡くなった今、この最強カードが使えない!


僕「Tさんより先に逝ったほうがいいよ。Tさんよりも、後に残ってはダメだよ。」と、母にそう言っていたのだが、それはこちらの都合。

寿命はそれぞれ決まっているのだ。


図らずも、


僕「いつまでもTさんが元気でいるわけ入るとは限らないんだから、デイサービスも行かなきゃだめだよ。」

と言った通りになってしまった。

母を支える覚悟はした



この後は、知恵をしぼってどう支えていくかだ! と僕は思っている。



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85歳母の最高の癒やし手、親友Tさん [友だち関係]

◆仲のよい友だちの存在は認知力の維持に最適

2時間以上、しゃべりまくっても飽きない。

心を許せる親友の存在は、間違いなく高齢の認知力の維持に最適である。


生前、本家の伯母は、隣家の茶飲み友達が元気でいる内は元気でしっかりと(脳を含めて)していたが、その友達が亡くなってから急速に認知症の症状が出たという。


◆だんだん減ってきた親友・これなくなった親友

ところが、そんな仲のよい友達も、高齢になってくると次第に減ってくる。

80歳に近づくにつれて、少しずつ確実に減ってくる。

80歳辺りから、ばたばたと減っていく感じである。


母の場合も、近年、ばたばたと仲のよい友人が亡くなった。


そればかりではない。

自転車に乗れない。

免許返納で車に乗れない。

遠方の友人は体力的に来るのが難しくなる。

足が悪くなって、あるいは病気がち外へ一人で出られない。

入院した。

施設に入った……。


本当に会える親友がなくなってくるのだ。


母の場合も、同様で、近年ばたばたと友人が亡くなっていき、本当に限られた友人となってきた。

残っている友人も、自分で行き来は難しく、家族に送迎してもらう(片道だけでも)ケースがほとんどである。


母の場合も、81歳自損事故をきっかけに、自分も車を乗らなくなったので、自分一人の力では訪問しにくい。
相手も同様な状況で、それぞれの家族のサポート(車で送迎する)がないと、難しい。
近年、僕は、母の仲のよい友達を車で迎えに行ったり、逆に送ったりすることが多くなった。
◆一番大切な親友Tさんがいれば大丈夫
それでも、母の場合、一番大切な親友のTさんが近所(家から2kmほどの車で5分余り)に残っていた。
Tさんは、本当に85歳母の最高の癒やし手である。
(相手のTさんにとっても)
Tさんのお嫁さんが連れて来さえすれば(僕が連れてくる・あるいは連れて行くこともある)、二人とも5時間でも、6時間でも楽しくしゃべり続けている。
僕は
「お母さん、Tさんが来たよ。これで今日1日ハッピィだね。」
と言っている。僕は安心して、仕事に打ち込める。
僕:Tさんはいつでも大歓迎です!
本人のTさんを前に、いつもそう言っているので、Tさんも気兼ねなく来てくれる。
僕:Tさんの代わりは絶対にできない。
僕:Tさんがいる限りは大丈夫。

これは僕が心底思っていることだ。
僕:Tさんよりも先に逝ったらダメだよ。
最近(といってもここ1,2年)時折、母に話している言葉である。
◆一番大切な親友が残っていた母
Tさんと母は、幼なじみであり、その間、途切れることなくずっと親友であった。
かれこれ約80年の付き合いである。
お互いに結婚してからも、家が近いので付き合いが続いている。
母が結婚した頃、編み物教室を開いていて(夫よりも収入があった)、余りに忙しく、2,3年間ほど、家の手伝いや長男(当時就園前)の子守などもしてくれていたこともあった。(母よりも2歳年下)
ずっと母のそばにいて、お互いのに助け合ってきた間柄だ。
この友達が一番付き合いが長く、かつ深い。
お互いに大親友だと思っている。
◆先週の1週間

●5月31日月曜日は、お昼近くからずっといっしょ。

 母は昼食を作ってあげて歓待していた。

 夕方までいっしょにいて、その後は、駅辺りまでいっしょに歩いて、そこで別れた。


●6月1日火曜日は僕が母をカーブドッチに連れて行った。


●6月2日水曜日は、Tさんが来て、昼食をわが家でいっしょに食べる。その後、駅辺りまでいっしょに歩き、そのままいっしょにレストランで外食していた。


●6月3日木曜日は、どこにも行くこともなく、家で過ごしていた。

 午後はさすがに退屈していた母であった。


●6月4日金曜日は、母の同級生だったMさんを、僕が車で迎えに行った。

 その後、少ししてTさんが来た。

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昼食を3人でいっしょに食べ、夕方4時過ぎにMさんが帰った後も、Tさんはいっしょにいた。その後、二人で駅の辺りまで歩き、別れた。


週1、2回の事が多いのだが、今週は3回と多かった。逆に1回も来ない週もある。


来れば4時間は平気で持つし、大体は6時間+散歩コースでお別れである。


昔話に花が咲き、笑いが絶えない。


お互いに本当にリラックスしている。


相手のTさんも「Yさん(母のこと)がいなくなったらどうしよう。」


母「私もそう。」


Tさん「同じ日に死のう。」


こんな会話を最近聞いた。


いつか必ず来る日であるが、できるだけ、いっしょに日が続くことを願っている。


Tさんがいるうちは、本当に大丈夫だと思っている。


僕にできることは、送迎することと、


「Tさんは、いつでも大歓迎!」


といって、快く迎えることだけだ。

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