キチガイ病院なんて行かない!と言い出す母 [医療・生活管理]
6月25日(金)は、4週間に1回、母を病院に連れて行く日であった。
病院というのは、O病院で、県内で唯一コウノメソッド(療法)を行っている病院である。
4年程前、僕が認知症の本をいろいろ読んでコウノメソッド(療法)を知った。当時、忘れっぽくなっていた母を連れて行ったのだ。
当時、すごく抵抗した母だが、自分の実の姉にも相談して、最終的に行くことにした。
その時、処方されたのが「フェルガード」というサプリメント、
●そしてツムラ83番の薬であった。
フェルガードについたは、前記事に書いた。
母が問題にしたのは、ツムラ83番の薬の方であった。
>神経がたかぶる、怒りやすい、イライラする、眠れない、まぶたのケイレン、手足のふるえなどの症状を抑える作用があります。
この「神経がたかぶる、怒りやすい、イライラする」の記述に母は、大反発した!
おそらくは、私が「以前できることができなくなったり、忘れっぽくなったりしているので、何かとイライラします」というようなことを言ったからだと思う。
母は、この薬だけは、絶対に飲まなかった。
この一件で、母は未だにこの病院は、精神科だと思い込んでいる。
実際は、脳神経外科専門医で、それもあって救急車で運ばれて、脳梗塞の診断を受け1週間入院した後、このO病院であとを引き継いでいるのだが。
>脳神経外科 漢方内科 心療内科 老年内科 頭痛外来 めまい外来 禁煙外来 物忘れ外来
とあり、そもそもは物忘れ外来(認知症)のために訪れた病院なのである。
金曜日、行く直前になって、「この年になって、キチガイ病院になんて行きたくない!」と始まったのだ。
僕「あの病院は、精神科なんかじゃないよ!」
と言うのだが、激しい言い合いになって、結局行けなかった。
◆その夜
僕は「母は自分で自分を苦しめている!」と思って、可哀想だと思った。
なんとかしてあげたいと。妻とも相談した。
僕「あんなイライラの薬なんか、精神科でなくても、どこでも出すじゃないか。それも4年も前の話なのに未だに……。」
母を何とかしてあげたいし、僕の方も、イライラが伝播して、落ち着かなくなってしまった。
◆翌日
母を何とかしたいと思いつつ、ヒントをもらうべく、「日本の神様カード」を引いてみた。
>「…人生で何かあっても、起き上がってパッパと泥をはらい、さっと歩き出す〜大切な人との関係性を早めに修復するようにと伝えています〜」
こうしている場合じゃない、さっさと母ともう一度話し、あの「キチガイ病院に連れて行かれている」という誤解を解かないと、そのための知恵を出さないと思った。
かくて、用意したのはO病院のHP紹介で
>脳神経外科 漢方内科 心療内科 老年内科 頭痛外来 めまい外来 禁煙外来 物忘れ外来
と書かれているページである。
◆Tさんを仲立ちにして、なんとかマイナスイメージを払拭する
折しも、近所に住む本家のTさんから電話があり、母に遊びに来ないかという電話が入った。喜んで母は出ていった。
30分ほどしてから、僕も行き、Tさんのいるところで、
●O病院が脳神経外科の専門医で、物忘れ外来(認知症の治療)でそもそも行き始めたこと。(HPを示した)
●ツムラ83番の薬のようなイライラを抑える薬はどこの病院でも出すことを話した。
Tさんは、自分も夜眠れないとS病院へ行ったら、睡眠薬じゃなくて、精神安定剤を出されたと言ってくれた。そんなの誰にもあることよ と。
合わせて、本当に大声でわめいたり、暴力をふるったりして手に負えない人は、
「J病院に連れて行かれるのよ」とも言った。
かくて、母は落ち着き、週明けの月曜日に、O医院に行くことを承諾した。
早めに関係が修復できてよかった!
母との関係が悪いと、こちらも精神的にまいってしまうから。
コウノメソッドのサプリメント「フェルガード」のおかげ [医療・生活管理]
6月25日(金)は、4週間に1回、母を病院に連れて行く日であった。
病院というのは、O病院で、県内で唯一コウノメソッド(療法)を行っている病院である。
4年程前、僕が認知症の本をいろいろ読んでコウノメソッド(療法)を知った。当時、忘れっぽくなっていた母を連れて行ったのだ。
当時、すごく抵抗した母だが、自分の実の姉にも相談して、最終的に行くことにした。
その時、処方されたのが「フェルガード」というサプリメント、そしてツムラ83番の薬であった。
フェルガードは日本認知症予防学会認定第1号のサプリメントで
これを飲み始めた母はこう言った。
「今まで頭の中にモヤがかかっていたようだったけど、これを飲み始めたらそのモヤがなくなった!」
かくてそれ以来、欠かさず1日2回飲んでいる。
医者に行くこと、まして認知症と言われるなど、大嫌いな母なのだが、自分で効くのを実感している。
途中、「医者に行かない!」ということもあったが、僕がそのサプリをもらいに行って、ずっと続けている。
出来事、とりわけ日時の記憶は本当に危うい。
さっき食べたのに、「昼食食べたっけの?」という質問も、よくある。
だが、住み慣れた自宅でいるせいもあり、簡単な料理もいまだでき、買い物もできている。
これは、コウノメソッド・フェルガードのおかげがあると思っている。
デート成功の秘訣はお店の選択 ー母のお気に入りの店でランチー [お出かけデート]
週1回、母とお出かけデートをすると決めた僕である。
(必ずしも会食を意味しない。ショッピングなども入る。)
(必ずしも会食を意味しない。ショッピングなども入る。)
今週(今日)は、ランチデートすることにした。
◆母のお気に入りに店でランチデート
熱愛カップルのように二人でいっしょにいるだけでハッピーというわけではないので、
母の満足度は、お店の料理や雰囲気に比例する。
以前僕の趣味であるレストランへ行ったら、
「何も食べるものがない!」とご立腹だったので、
お店の選択が超重要なのだ。
今回、母のお気に入りのお店Hで、ランチしないかと誘ったところ、すぐにOKが出た。
二人とも生姜焼きランチを注文した。
母は「おいしい! おいしい!」を連発し、僕の店の選択は正しかった。
◆書店に寄る
帰りに、郵便局などにより、ついでに書店にもよった。
母「書店は、行っても行かなくてもいい。」
ということは、脳への刺激になっていいだろうと思い、書店にもよった。
編み物やファッションの冊子を見ていた。
なんだ、かんだで2時間ほどのデートであった。
◆帰宅後まもなく忘れてしまう母
帰宅後、少ししたらお茶にしたのだが、
母「さっき、どこに行って来たんだいの?」
僕「レストランH店でランチを食べたでしょ。」
母「あ、そうか、そうか。」
と言っていた。
その瞬間がハッピーならいいのである。
高齢の母にコロナワクチン打つべきか、打たざるべきか!? [医療・生活管理]
副反応を気にかけつつも、やっぱりコロナワクチン接種をやることに決めたのが、5月中頃のことでした。
予約した日時は、1回目6月16日、2回目7月7日です。
◆やることに決めた理由
①コロナにかかって重症化しては困るから。(実際のパーセントは低いが)
②コロナが収束しないと、経済的に困る人が大勢いて(旅行、エンタメ、エアライン、遊興場、ホテルなど)、集団免疫を獲得して早めに収束した方がいいから。
③副反応のリスクは決して高くないから。
③副反応のリスクは決して高くないから。
④主治医もコロナワクチンを接種しているから。
⑤先行した接種した海外では問題が多いといわれる、アストラゼネカ製でないから。
それに、連日NHKニュースで流れる、ワクチンを接種した高齢者の「やってよかった。これで孫に会える」云々の喜びの笑顔も、わが家もやった方がいいなと思わせられた。
●重症化のリスクが連日発表される一方、副反応の報道はほとんど目にしないでいたので、一抹の不安を感じながら、高齢者の母にはコロナワクチン接種をする!と決めていた。
[>]数少ない副反応のマイナス報道
リンク先の記事はなくなってしまったが、72歳の妻がコロナワクチン接種後、気分が悪くなり、翌日には亡くなったという記事。ワクチンの副反応で亡くなった可能性のある人は190人ともあった。
◆前々日に知った衝撃の事実
母のコロナワクチン接種予定日の2日前、私は同い年の友人のところへ行って1時間余り話し込んだ。
その友人は、高齢者介護施設に勤めているのだが、そこでもワクチン接種を高齢者9名が受けたばかりだという。(施設職員である友人は接種している)
そのうち1名がひどい副反応が出たという。
どんな副反応かというと、
■85歳の女性のひどい副反応
・脳血管性認知症(脳血管障害を基盤として発症する認知症、栄養を運ぶ血液のめぐりが悪くなれば当然その脳細胞は死ぬわけで認知力は下がる)。少し糖尿病の症状もある。
[>]受ける前
・普通に一人でご飯を食べれらる。
・自分でタイミングを感じてトイレに行ける。
・着替えも全部自分でできる。
・困った行動は、食べたばかりなのに、食べてないからと食事を要求することぐらい。
[>]受けた後
・だらだらとよだれを流すようになり、食事を口に入れてもかまなくなった。
・自分でトイレに行けなくなった。
(おむつの中でする)
・着替えも見守りながら声がけしないとできなくなった。
・介護する側としては、大変な労力を強いられるようになったという。
◆これを聞いてぞっとした僕
●これはロシアンルーレット(弾薬を装填できる回転式ピストルに1発だけ弾丸を装填して、回して打つゲーム)ではないか!9発中1発だけ実弾が入っている。9分の1の確率でこのようになるとしたら、とても母をこのような危険にさらすことはできない!!!と。
85歳女性と言えば、母と同じ年齢。
しかも、認知症であり、母は昨年12月脳梗塞で倒れ、1週間ほど入院しているのだ。
そこで、医師から認知症の診断も合わせてもらっている。
さらに、半月前の血液検査の結果、糖分がとても高く(甘いものを取り過ぎないようにとの医師の指導が入っている)、亜鉛が非常に少ない(医師から亜鉛不足を補う薬が新しく出た)という血液検査の結果が出ている。
余りにも母と似すぎている。これは9分の1の確率どころは、五分五分以上だ!
こう判断した私は、ワクチン接種を打たせない決断をした。
医師からワクチン接種を打つ1週間前から止めるように言われていた、脳梗塞に対応した血液の流れをよくする薬を再開した。(打つと注射後、内出血を起こす可能性があるという)これでもう接種できない。
ワクチン接種が無駄にならないように、翌日、つまり接種予定日の前日、お断りの連絡をした。
「血液検査の結果が悪くて、医師から控えた方がよいと言われました」
と。
◆今で十分に幸せ
今の母ならば、
・普通に一人でご飯を食べれらる。
・自分でタイミングを感じてトイレに行ける。
・着替えも全部自分でできる。
・困った行動は、同じことを何度も聞くことぐらいである。僕が話し相手をしたり、買い物に連れて行ったりしていれば、十分に対応できる。
でも、あの母と同い年の高齢者のようになってしまったら、とても僕一人では対応できない。
去年12月1週間の入院でも、退屈極まりなかった母が、もし施設に入るようなことになれば、母は退屈で退屈でどうしようもないと思うのだ。
今のままなら充分対応できるし、骨折でもしない限りはゆったりと老いていくわけだから、大丈夫。
小さい孫がいるわけじゃないし、学校でコロナにうつってきて、母にうつす人もいない。
本県は、東京ほど感染者は多くない。
よって、母へのコロナワクチン接種はやめた!
母がこれによってコロナにかかることになっても、僕は後悔はしない。
※ 先の高齢者は、副反応のひどいケースなのだろうが、カウントされることはない。訴える人がそもそもいないから。
こうした隠れた事実がたくさんあるはずだ。
※ 同施設の追加の情報。その友人から、今度は2回目の接種で、この事例に近い事例がまた出たという話を聞いた。これも、副反応としてカウントされることはない。
※ ところで、コロナ下で、医療施設や介護施設では、親族すら面会できないという。
なぜZoomでできるようにしないのか!これなら感染の心配はないではないか!
コロナで忙しくなっている医療現場は理解はまだできる。
(介護施設だって手が足りないのよ!という声が聞こえるが)
しかし、少なくとも介護施設ではそうすべきではないか!
いかに子どもが高齢の親に会いたいか、そして親が子どもに会いたいか、それが感染の心配があるからできないというなら、せめてZoomでの面会ができるように配慮するのが介護施設の責任ではないのか!
こうした努力をしないのは怠慢であり、施設に入っている高齢者への虐待そのものではないのか!
当然の結果として認知症は悪化することになる。
落ち込んでいる祖母を励ます孫たち [孫との関係]
◆落ち込んでいる母をどうやって癒やすか
・大親友が急死して、本当に落ち込んでいる母。
◎どうやって励ましたらいいか。
①すぐにやったのは、僕のスマホに残っていた、母の大親友Tさんの写真を印刷して写真入れにいれて日常的に見られるようにした。
②そばにいてあげる。そして、故人の話をして、楽しい思い出や悲しみに共感して聴いてあげる。
③故人(大親友)のお宅を訪問して、祈る。(お通夜、葬式が終わったあとも、初七日まで2日間続けて訪問した。私が車で連れて行った)
③残っているお友達に連絡して遊びに来てもらう。(一昨日、僕が来るまで迎えに行って来てもらった。)
④孫に連絡を取り、落ち込んでいる祖母(僕からは母)を励ますべくZoomしてほしいと頼む。
今回は、この孫から励ましてもらう作戦を実行した様子を紹介する。
◆本文 ーおばあちゃんを励ますZoomの会ー
(12日(土)8時から8時40分まで)
祖母は孫がとてもかわいい。昔から「目の中に入れても痛くない」ぐらいかわいいという。
わが母にとってももちろんそうである。
かくて、その孫から励ましてもらう作戦を考えたわけだ。
■段取り
①親友のTさんが亡くなって、祖母が落ち込んでいることをLINEで知らせた
[>]長女:あら……、ああちゃんの精神面が不安(涙マーク)
●僕の返信:全くその通り。とっても僕は心配している。
Tさんの穴を埋めるのはとっても難しいけど、家族の力で支えてあげるしかないね。
[>]次女:いやーそれはキツい(涙マーク)
ああちゃんにとって一番キツいね、、
●僕の返信:(葬儀日程等を伝えた上で、)あーちゃんは、落ち着いたらかえって寂しくなると思うので、声がけよろしくね。
②返信のつづき
[>]長女:了解です!○子は元気なので少し落ち着いたら連絡します。
僕の方で日程調整したところ、12日(土)の夜8時に東京にいる娘達(あーちゃんからは孫)がいっしょにZoomで励ましたもらうことになった。
■当日
予定通り、8時から実施。
あーちゃんを中心に会話が弾んだ。
●
長女は仕事のこと、プライベートのこと…いろいろとあーちゃんに聞かれた。
次女は大学のこと、大学の勉強や公認会計士の資格を取るべくがんばっていること…を聞かれて、あーちゃんからアドバイスをもらっていた。たとえば、あーちゃんの友達の子どもが公認会計士の資格を取るためにすごくがんばった話など。
あーちゃん「学ぶことにケチケチしないで、会計士になるためのいろいろな勉強会にお金を払って参加した方がいいよ!」
と言っていた。
なんだ、かんだで、孫たちがあーちゃんを直接励ますのではなくて、あーちゃんが孫たちを励ます場になっていた。
実は、このあーちゃんが孫たちを励ます場になったということが、何よりも祖母を励ますことになったと思う。
孫たちの元気な姿、がんばっている姿を見たことと合わせて。
なぜなら、癒やす人が癒やされるわけだから。まだまだ与える側に立てたわけだから。
もちろん、僕や妻も話したので、久リぶりなこともあり、40分間のZoomとなった。
その間、あーちゃんはずっと笑顔。直接言葉で励まさなくても、十分励ます場となった。
※ あーちゃん(実母)は、2度全く同じ質問をしたが、長女は初めて聞かれてように、ていねいに答えていた。
つい際ほど、実母から「Tさん亡くなったんだっけ」と聞かれた。「昨日亡くなったんだっけ」という質問も何度も受けた。
最近の時間的な経過の記憶は、とても難しくなっている。僕が「葬式はもう終わっていて…」などとくり返しやると、
母「バカになったんだよ。」と続く。
僕「バカになったなんていわないで。ちょっと忘れっぽくなっただけだよ。」
こんなやりとりがつい最近もあった。
それでも、住み慣れた自宅にいて、さまざまなサポートがあるから、未だほぼ通常の生活ができている実母である。
それでも、住み慣れた自宅にいて、さまざまなサポートがあるから、未だほぼ通常の生活ができている実母である。
野菜の苗を植えて、母の生活を豊かにする [生活を豊かにする活動・趣味]
◆野菜を栽培する、介護上の価値
①1〜2ヶ月以上にわたって収穫の喜びをもてる
(食べられる!)
②そして調理する喜びにもつなげられる
③収穫までの間(収穫期間を含めて)、世話する活動ができる。
つまり、毎日水やりをしたり、様子を観察したりする活動が生じる。
これは、毎日の生活に秩序(毎日きちんとやる活動=日課)と豊かさを吹き込む。
もちろん、世話や収穫、調理の活動のプロセスのなかで、会話が成立することにもなる。
このように、メリットがたくさんある活動である。
◆段取り
①野菜の苗を用意(購入)しておく
※ これはコメリで購入した。時期を過ぎると、途端になくなるので要注意である。そうならないように、6日(日)に購入しておいた。
②土や肥料、鉢などを用意しておく
これは、既に家にあった。
◆本文 ー10日(木)午前中にいっしょに母といっしょに飢えたー
■提案
まずは、お茶をいっしょに飲みながら、
いっしょにコメリに行って買っていた野菜の苗(ナス2,ピーマン1,ミニトマト1)を午前中に植えないかと提案した。
母は、余り気乗りした感じではなかった。
母「お前ひとりでやれの。」
■スタートするとつられて始める
かまわずに、僕だけで始めると、母は心配なのか見に来た。
そして、結局手伝った。
脇にいて、
「こっちの鉢の大きい鉢がいい。」
「油かすも入れないとダメだ。」
「水を入れてから植えた方がいい。」
……あれこれと(口うるさく?)アドバイスしたり、
自分で水やりをやったりした。
つまり、言葉で誘ってみたり(促し)、先にやって見せたりすれば、
自分がやったことのある活動の場合は、やってみようとするのである。
なんだ、かんだで、準備と片づけを含めて、2時間近くかかった。
●奥からミニトマト1、ナス2,ピーマン1
実を結び始めるのは、半月後だろうか?!
手間暇かかったとも言えるが、
この後ずっと母の生活に秩序と豊かさを生み出すのだから、
安いものである。
大親友Tさん、急死! [友だち関係]
母にとっての一番の親友であり、最大の癒やし手である、Tさんが急死した。
先週の金曜日、6月4日のことである。
◆急死の当日は元気で母といっしょに過ごしていた
この日、一番の親友Tさんは、嫁さんから病院に連れて行ってもらい、診察後、そのままわが家に連れてきてもらっていた。
朝11時頃から、夕方5時頃までいっしょにわが家で昼食を食べたり、おしゃべりして過ごしていた。
●
●亡くなる当日のお昼頃の写真↑ 右側がTさん
その後、いっしょに駅近くまで歩いて、その後、別れて母を帰宅していた。
いつものよくあるパターンである。
母は終始笑顔でいっしょに過ごし、とても満足した1日であった。
◆翌朝の訃報
翌日の土曜日午前8時半ごろ、Tさんのお宅から電話があった。
Tさん息子「Tですけど、おふくろが昨夜風呂場で亡くなりました。(えっ!?) 私から直接言うとびっくりすると思いますので、息子さんのあなたから伝えていただきたいと思いまして。」
信じられない私は、何度かのやり取りの後、Tさんがお風呂場で事故死したことがわかった。
私「息子の僕が言おうと、誰が言おうと、母がびっくりするのは変わらない!」
まずは、妻を呼び、訃報を伝えた。
私「お母さん、このうえなくショックだろうな。できるだけ傷つけないようにと言ったって、誰が言ってもそれは無理だ。」
●私の胸中(母と大半の人生を共有し、来れば6時間、平気でおしゃべりできるTさん。Tさんがいるうちは、母は大丈夫と思ってきた。そのTさんの分も支えていかないといけない!? 大親友のTさんの代わりなんてとっても無理です、神様!)
起床後、何も知らないでいる母。
いっしょにお茶を飲み、血圧を測り終えた。
妻も呼んで3人みんな揃ったところで実はと切り出した。
私「お母さん、大ショックだと思うんだけど、ついさっきTさんの息子さんから電話があって、Tさんお風呂場で亡くなったって。」
母「えっ、何だっての。」
母は、絶句し、号泣した。
●孫たちにショックの様子を伝えるために、
やむなく撮った写真↓
●僕の胸中(辛いだろうな、本当に。……僕がこの大親友のTさんの分も支えないといけない!?でも、大親友のTさんの代わりはなんてとっても無理です、神様!)
私と母と妻の3人は、10分ほどで支度を終え、Tさんの自宅(車で5分余り)へ急行した。
私と母と妻の3人は、10分ほどで支度を終え、Tさんの自宅(車で5分余り)へ急行した。
◆Tさん宅で遺体と対面、号泣する母
9時過ぎにTさんの自宅に着いた。
Tさんの遺体を見るなり、Tさんにすがりつくようにして母は大号泣した。
母「なんで私のことを置いて死んだの!」
僕の父(つまりは夫)が亡くなった時よりも、号泣してるように見えた。
母(すがりつくようにして泣き続ける)
僕の胸中(あー、でもどうしてあげようもない。大親友のTさんの代わりなどとっても無理です、神様!)
母「えーん。」
母:(Tさんの遺体にすがりつくようにして泣き続ける)……。
泣き続ける母を見続けている僕の胸中(わかりました、神様。 今度は僕が全面的に支えます。)
大親友のTさんが亡くなった今、母へのサポートが今まで以上に必要になることは間違いなく、僕は その覚悟をした!
◆死因は溺死だが、真実は寿命
◆死因は溺死だが、真実は寿命
1時間ほどいただろうか。
亡くなったときの事とかいろいろ聞いた。
ひと言で言えば、お風呂場で溺死ということだ。
見つけた嫁さんは、一生懸命人工呼吸をしたという。
でも駄目だった。
丁度1年前も同じようなことがあり、救急車も呼んで、その時は一命を取り留めた。
家族は気をつけていたそうだ。
嫁さん:「今日は、お風呂に入らない。」と言っていたので、そう思っていたら、ちょっと目を離した隙にお風呂に入ってて……。
僕:いやそれはしょうがないんですよ。言っても聞かないから。
僕:いやそれはしょうがないんですよ。言っても聞かないから。
現象としては溺死かもしれないけど、寿命なんですよ。
だから、今週3回もわが家に遊びに来て、(亡くなった当日の)昨日も遊びに来て楽しそうに話してたんですよ。
◆枕経とその後の「家族葬」の段取り
1時間ほどしたらお坊さんが来て、枕元でお経をあげてくれた。
その後、通夜と葬式の段取りをし、84歳の高齢でもあり、コロナ下なので、「家族葬」にするという。
ただ、うちの母の場合は大の親友なので、お通夜もお葬式も参列することになった。
Tさんの娘さん「大の親友のYさん(僕の母の名前)を呼ばなかったら、お母さんに怒られる。」
供える花も決めた。今までは友達同士で出してきたけれども、その友達が先に亡くなったので、母1人で出すことにした。
僕は受付をすることになった。
僕も小学生の頃からよくTさん宅におじゃましているので、実は僕も大きなショックを受けている。
それ以上に、Tさんに感謝しているので、快く受付を受けたのだ。
◆不思議と残った最期の写真
◆不思議と残った最期の写真
今週Tさんは、月水金と3回もわが家に遊びに来た。
いずれも、昼食をいっしょに取っていた。とりわけ水曜日は、その後、二人で駅の方まで歩き、夕食までいっしょに取った。
亡くなった金曜日のお昼には、母がトマトとキュウリを切って出したら、
Tさん「めんどうかけたね。これとってもおいしい。」
こう言っていた。
あまりにうれしそうにしていたので、僕はふと思いついて
僕「写真撮ってやるて。」
こう言って、スマホで写真を撮った。
その写真をTさんの家族に見せたら、とても喜んだ。
Tさんの息子さんは私と同級生なのだが、自分が4歳の時父を亡くしたせいもないあり、母親思いの気持ちがことの外強い。
もちろん、Tさんの息子さんは悲しみでいっぱいである。
私と妻は午前11時過ぎに帰宅した。
私と妻は午前11時過ぎに帰宅した。
実母は、一緒にまだまだそばにいてあげたいと、そこに残った。
◆Tさん亡き後
僕「よかったね、お母さん、Tさんが来て。
僕「よかったね、お母さん、Tさんが来て。
Tさんがいたら、もう今日1日ハッピーだね。」
僕がこう言うのをにこにこして聞いていた母。
よく言う台詞だが、こう言ったのは水曜日の話。
Tさんが亡くなった今、この最強カードが使えない!
僕「Tさんより先に逝ったほうがいいよ。Tさんよりも、後に残ってはダメだよ。」と、母にそう言っていたのだが、それはこちらの都合。
寿命はそれぞれ決まっているのだ。
図らずも、
僕「いつまでもTさんが元気でいるわけ入るとは限らないんだから、デイサービスも行かなきゃだめだよ。」
と言った通りになってしまった。
母を支える覚悟はした!
母を支える覚悟はした!
この後は、知恵をしぼってどう支えていくかだ! と僕は思っている。
85歳母の最高の癒やし手、親友Tさん [友だち関係]
◆仲のよい友だちの存在は認知力の維持に最適
2時間以上、しゃべりまくっても飽きない。
心を許せる親友の存在は、間違いなく高齢の認知力の維持に最適である。
生前、本家の伯母は、隣家の茶飲み友達が元気でいる内は元気でしっかりと(脳を含めて)していたが、その友達が亡くなってから急速に認知症の症状が出たという。
◆だんだん減ってきた親友・これなくなった親友
ところが、そんな仲のよい友達も、高齢になってくると次第に減ってくる。
80歳に近づくにつれて、少しずつ確実に減ってくる。
80歳辺りから、ばたばたと減っていく感じである。
母の場合も、近年、ばたばたと仲のよい友人が亡くなった。
そればかりではない。
自転車に乗れない。
免許返納で車に乗れない。
遠方の友人は体力的に来るのが難しくなる。
足が悪くなって、あるいは病気がち外へ一人で出られない。
入院した。
施設に入った……。
本当に会える親友がなくなってくるのだ。
母の場合も、同様で、近年ばたばたと友人が亡くなっていき、本当に限られた友人となってきた。
残っている友人も、自分で行き来は難しく、家族に送迎してもらう(片道だけでも)ケースがほとんどである。
母の場合も、81歳自損事故をきっかけに、自分も車を乗らなくなったので、自分一人の力では訪問しにくい。
相手も同様な状況で、それぞれの家族のサポート(車で送迎する)がないと、難しい。
近年、僕は、母の仲のよい友達を車で迎えに行ったり、逆に送ったりすることが多くなった。
それでも、母の場合、一番大切な親友のTさんが近所(家から2kmほどの車で5分余り)に残っていた。
Tさんは、本当に85歳母の最高の癒やし手である。
(相手のTさんにとっても)
Tさんのお嫁さんが連れて来さえすれば(僕が連れてくる・あるいは連れて行くこともある)、二人とも5時間でも、6時間でも楽しくしゃべり続けている。
僕は
「お母さん、Tさんが来たよ。これで今日1日ハッピィだね。」
と言っている。僕は安心して、仕事に打ち込める。
僕:Tさんはいつでも大歓迎です!
本人のTさんを前に、いつもそう言っているので、Tさんも気兼ねなく来てくれる。
僕:Tさんの代わりは絶対にできない。
僕:Tさんがいる限りは大丈夫。
これは僕が心底思っていることだ。
僕:Tさんよりも先に逝ったらダメだよ。
最近(といってもここ1,2年)時折、母に話している言葉である。
◆一番大切な親友が残っていた母
Tさんと母は、幼なじみであり、その間、途切れることなくずっと親友であった。
かれこれ約80年の付き合いである。
お互いに結婚してからも、家が近いので付き合いが続いている。
母が結婚した頃、編み物教室を開いていて(夫よりも収入があった)、余りに忙しく、2,3年間ほど、家の手伝いや長男(当時就園前)の子守などもしてくれていたこともあった。(母よりも2歳年下)
ずっと母のそばにいて、お互いのに助け合ってきた間柄だ。
この友達が一番付き合いが長く、かつ深い。
お互いに大親友だと思っている。
◆先週の1週間
●5月31日月曜日は、お昼近くからずっといっしょ。
母は昼食を作ってあげて歓待していた。
夕方までいっしょにいて、その後は、駅辺りまでいっしょに歩いて、そこで別れた。
●6月1日火曜日は僕が母をカーブドッチに連れて行った。
●6月2日水曜日は、Tさんが来て、昼食をわが家でいっしょに食べる。その後、駅辺りまでいっしょに歩き、そのままいっしょにレストランで外食していた。
●6月3日木曜日は、どこにも行くこともなく、家で過ごしていた。
午後はさすがに退屈していた母であった。
●6月4日金曜日は、母の同級生だったMさんを、僕が車で迎えに行った。
その後、少ししてTさんが来た。
●
昼食を3人でいっしょに食べ、夕方4時過ぎにMさんが帰った後も、Tさんはいっしょにいた。その後、二人で駅の辺りまで歩き、別れた。
週1、2回の事が多いのだが、今週は3回と多かった。逆に1回も来ない週もある。
来れば4時間は平気で持つし、大体は6時間+散歩コースでお別れである。
昔話に花が咲き、笑いが絶えない。
お互いに本当にリラックスしている。
相手のTさんも「Yさん(母のこと)がいなくなったらどうしよう。」
母「私もそう。」
Tさん「同じ日に死のう。」
こんな会話を最近聞いた。
いつか必ず来る日であるが、できるだけ、いっしょに日が続くことを願っている。
Tさんがいるうちは、本当に大丈夫だと思っている。
僕にできることは、送迎することと、
「Tさんは、いつでも大歓迎!」
といって、快く迎えることだけだ。
いつどの薬を飲むかは、実物表でわかりやすく提示する [医療・生活管理]
◆困っていた状態
・薬が少しずつ増えたり、変わったりしてくると、以前の記憶と重なって、いつ・どんな薬を飲んだらよいか、本人が混乱してくる。飲み忘れることもある。そうでなくても、何度も確認のために聞いてくることもなる。
・一方で、本人はできるだけ自分で飲みたい・管理したいと思っている。なのにうまくできない。そんな自分にイライラすることもある。
◎そこで、どうしているか。
◆改善策
・いつどの薬を飲むかを示す、視認しやすい実物表示表を作っている。
・飲み忘れると困る薬・間違えやすい薬は、こちらが管理する。
(たとえば、眠れないときだけ飲む、睡眠薬)
◆実物表示表(写真)
●
●
◆改善後
・これをする前は、本人はその都度お薬手帳などで飲み方を確認していたが、
本人はずいぶんラクになった。
■本人が編み出した工夫
ただし、薬を飲み終わったかどうかを記憶できないので、本人なりの工夫で、飲み終えた薬のケースをガラス瓶に入れて確認している。
・あと、完全に親任せにしないで時折確認は必要である。
認知症母のための月間スケジュールカレンダー [医療・生活管理]
◆こんなことで困っていませんか
医者への通院・予約日がわからなくなる。
だから、間違えた記憶に基づいて通院する。
週に多いときで3回も、かかりつけ医のところへ行く。
(笑って追い返される)
うちの母がそうです(でした)。
・20日ごとにひざに注射を打つ(母の間違った思い込み)、だから20日ごとに整形外科医に行かねばならない。
→ 正しくは骨粗しょう症の薬のなくなる5週間ごとにひざに注射を打つ○
おそらくは昔はそういうこともあったのだろうと思います。
ですが、現状は違うのです。
◆わがやの工夫
だから、月のカレンダーに明示するとよいのです。
現状3つの医者(認知症と脳梗塞関連の医者、整形外科、歯科医)に通っています。
眼科はいかなくなり、脳梗塞になってからは、かかりつけ医が認知症の医者と統合してほしいと言われて、5つから現状3つの医者になっています。
◆実物の月間スケジュールカレンダー
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◆これを使い始めてからの変化
母が間違えた日に医者へ行こうとしても、このカレンダーの予定を指しながら、
「ほら、M整形外科医に行くのは、来週の○日だよ。」
と言うと、分かってくれるようになりました。
最近は、母の方がこのカレンダーを意識していて、
「そっか、医者は来週の○日か」
と言ってくれることもあります。
口で言っても、とても覚えていられるものではありません。
この大型カレンダーを使う方法は、シンプルですが、お勧めの方法です。